滝谷ドーム中央稜
(大願成就)
2007年9月22日〜24日
CL増田、三根、ハナミズキ、宿六(記)
今年7月から天候が原因で何回かの中止を余儀なくさせられていた。今回は途中で雨になっても、とりあえず入山して最悪偵察だけになるかもしれないことを覚悟してと言うリーダーの強い方針で決行となった。宿六は体力の温存と北穂東稜の取り付き偵察を兼ねて、1日前に涸沢に入って待っていることを了解してもらった。
今回は初めてパノラマコースを歩いて涸沢に行くことにした。1人の時でないと、時間の掛かるこのコースは選択肢から外れてしまい、歩く機会がなかったからだ。徳沢の先で新村橋を渡り、奥又白谷に沿って登り始めて間もなく先行パーティに追いついた。ガイドが奥又白池の散策に4人のクライアントを連れてのパーティだった。奥又出合いで彼らと別れ慶応尾根を乗越して屏風のコルへ上がる。ここまでの道のりは、想像していたよりも、かなりキツイものがあった。ザックをデポして屏風の頭まで行こうと歩き出したが、賽の河原を過ぎた屏風の耳の登り口で眺望を楽しんで帰ってきた。その時は、眼前に見えるピークを屏風の頭と勘違いしていた。槍から奥穂までの連峰が、直ぐ目の前に広がる景観は、登りの疲れを癒してくれるのに充分すぎるものであったし、パノラマコースの名前がピッタリである。コルに戻り前穂北尾根の稜線を進み、途中から稜線を外れて涸沢に向かって支尾根を何回も巻きながら下りる。涸沢小屋に着いた時は2時近くになっていた。今日の偵察は中止と決めて、のんびりとテラスで北尾根や屏風の頭や耳などをカメラに収める。ここで初めて先ほど見上げたピークが頭ではなく耳であることが分かった。テラスにはチンネ左稜線で会ったガイドの篠原さんがいたので、八つ峰の下降ルートを教えてもらった。明日は何処に行くのですかと聞かれたので滝谷ドームですと言うと、「じゃ一緒ですね」と嬉しい返事が帰ってきた。
朝食を済ませ偵察に出かける。北穂への登山道が左にトラバースして南稜に向かう所を右に曲がって北穂沢の岩礫帯の上に立つ。東稜の稜線が二つに分かれてY字形のルンゼを構成している。このルンゼを右に入り左の壁沿いに草付を登れば稜線に出られることを確認して小屋に戻る。荷物を整理し、テラスに出て増田さん達が来るまで時間があるのでマッタリとした気分で過ごす。昨日のスカッパレに較べると雲が多くなってきた。涸沢ヒュッテから奥穂へ向かう人達が、三々五々登り始めている姿が小さく見える。
増田さん、三根さんが到着して、程なくミズキサンがあがってきた。休憩後、今日の宿がある北穂まで朝登ってきた道を登り返す。分岐でミズキサンに東稜の取り付きを確認してもらう。良く見ると、正に取り付きに向かうパーティがルンゼを登っているのが確認できた。少しの間、彼らの行動を見つめてルート取りを確認した。トラバースから南稜に乗り上げてからの登りは、北尾根と東稜を涸沢カールの両端に据えての景色を楽しみながらキツイ登りを耐えた。奥穂高への縦走路の分岐に荷物を置いて、増田さんと三根さんが明日のための偵察に出かけ、宿六はハナミズキさんを待って、3時40分頃小屋に着いた。
北穂高小屋は、かなりの賑わいであったが予約してあったので3枚の布団に4人というまずまずの場所を確保できた。夕食待ちの時間に、増田さんに男の人が訪ねてきた。宿帳で名前を見たからと言っていたその人は、嘗て柴笛に在籍し、今は「神田山の会」のイガラシさんであった。当時のことは増田さんしか知らないが、明日の滝谷やその他のことで大いに話が盛り上がった。夕食後は明日の段取りと起床時間を打ち合わせて早々と床に着いたが、明日の中央稜登攀を考えると寝付くのに時間がかかった。
予定より30分も早く起きて階下の食堂で朝食をとり、時間の来るまでゆったりと過ごす。標高3000mの冷え込みは思ったほどではなく、煌めく星空は無いものの雨の心配は無さそうに思えた。4時半に小屋を出発する。南峰に不要な物をデポして取り付きへの下降点に向かう。ドーム近くで先行パーティが既に支度に掛かっていた。それは昨日涸沢小屋でお会いして挨拶をしたガイドの篠原さんで、3人のお客を連れての中央稜ガイドであった。8月にチンネの左稜線を登攀した時に、私達の前を行き、我々が核心部を登っている時に八つ峰の下降路に腰を下ろして、我々の登りを見ていたのが篠原さんだった。昨日の話の中で、ドーム中央稜をガイドすることは知っていたが、ここで遭遇するとは思っても見なかった。彼らは涸沢小屋から登ってきたと言う。何という偶然だろう。これで今日の最も心配事であった取り付きまでのアプローチは、彼らの後をトレースすることで安心して行き着けるとメンバーの全員が思った。リーダーの増田さんは、我々より少し早めに先行パーティの後を追いトレースを確かめている。機を見るに敏な人であると感心させられる。途中で一箇所クライムダウンするところが出てきたが、知らなければ通り過ぎてしまうようなポイントであった。アプローチで唯一の目印である懸垂ポイントは、確かなアンカーが設置されていた。懸垂下降して右へ廻り込みながら、急な斜面を登り終わると、頭の中にインプットされている凹角のきつい傾斜の壁が目の前に大きく立ちはだかっている。想像していたよりスケールの大きなものであった。この興奮と感激は生涯忘れられないものになりそうだ。パーティは、増田さんと宿六、三根さんとハナミズキさんに決まり、ザイルを結び合うと、迷惑かけずに登れるのか、確かなリードが出来るのか、といった武者ぶるいにも似た不安と恍惚が去来する。7時に増田さんが1ピッチ目を登りだした。それぞれのパーティがツルベ登攀でいくことに決った。増田さんが1,3,4ピッチ目を、宿六が2ピッチ目と最終5ピッチ目をリードさせてもらった。人気のあるルートは、左稜線がそうであったように、難しい部分と易しい部分が適度に混ざり合って、終了点に着いた時に大きな達成感が得られるところが共通しているように思える。ルート上に危ない浮石もあるが、全体的にはカチッとした岩質で快適なクライミングを楽しめる。宿六が最終ピッチの終了点に着いた時には、篠原パーティは縦走路の上の岩稜の上で食事休憩をしていた。取り付から2時間で憧れのルートは終了した。思っていたよりかなり早く登れたことになる。滝谷の中は霧が出たり晴れたりで神秘的な風景を提供してくれている。終了点のアンカーにセルフビレーを取ると、無事に終った安堵感と終ってしまったという虚無感が同時に沸いてきた。増田さんのビレーを終わり、初めてハナミズキ、三根さんパーティの登って来るところをカメラに収めることができた。
柴笛にお世話になって2年半、念願の滝谷の壁を攀じることができた。宿六の入会の動機は、会員紹介にも書いてあるが、この壁を登ることであった。ずっと昔の若い頃である。「鳥も通わぬ滝谷の・・・」と言うフレーズが添えられた、霧が流れる滝谷に1人のクライマーが立っているモノクロの写真を見た時に、何時かはここに立ってみたいと思った。
一時期は果たせない夢と諦めてもいたが、登山を再開し、岩にも復帰するようになってから、夢では終らせたくないという気持ちが大きく育ってきた。東雲ではザイルパートナーがいないので、北岳バットレスや谷川の岩場はガイド山行で登るしかなかった。滝谷もガイド山行で登るなら今までにもチャンスは沢山あった。しかしこの滝谷だけは、仲間とザイルを組んで登りたいという思いが強かったので、それはしなかった。そして柴笛に入って良き仲間に巡り合うことができたのである。宿六は神を信じることは無いが、この広い宇宙に存在すると思われる(宿六はそう思っている)ある種の創造主、Something Great(ある人はこう呼ぶ)を信じることができる。宿六にとって滝谷の完登は、去年では早過ぎたし、来年では遅すぎたのかもしれない。今回の山行も3回の中止があっての最後のトライであった。2年半の間、宿六なりにスキルアップに努め、仲間の機運も高まり、今回の山行にOKが出たのかも知れないと勝手に得心している。ザイルを組んでくれる仲間や、ザイルとは離れたフィールドで柴笛を支えている仲間に、心から感謝します。有り難うございました。これで宿六の大願成就です。思い残すことは何もありません。これ以上の望みを持ったら、それは欲張りと言うものです。
最後に、今回の山行でお世話になった増田さん、三根さん、ハナミズキさん、有り難うございました。