Mount Assiniboine(3618m)

                  Aug、8〜16、2005     by   HANAMIZUKI

 

【概要】

○位置: カナディアンロッキーのマウント・アッシニボイン州立公園内。有名なバンフ国立公園に隣接している。キャルガリーから行くと、バンフの一つ手前の町:キャンモアが最寄りの町となる北緯54度位。北に位置するため、夏は21時位まで明るい。高緯度と大山岳地帯のため、非常に短い周期で天候がめまぐるしく変わる。1日で3シーズンの変化を体験できる。

○アクセス:成田→(飛行機)→ヴァンクーバー→(飛行機)→キャルガリー→(車)→

キャンモア→(ヘリコプター)→アッシニボイン・ロッジ(基地となる)

○名前の由来:アッシニボインはカナダインディアンの言葉で、「ストーン ボイラー」という意味。彼らは、熱く熱した石で肉を焼いたり、それを水に入れて熱湯を作り、調理していた。アッシニボインに朝日や夕日が当たると、それこそ熱した石のように真っ赤に焼け、名前の由来を実感できる。アッシニボインの足元にあるレイク・メゴックに入れれば、たちどころに数万人分のゆで卵が出来るだろう。 

    初登:1903年、3人のスイス人。初登攀ルートは南西フェース。初下降ルートは北リッジ。今回は登攀と下降は同一ルートで北リッジ。南西フェースはやさしいが落石が多く危険とのことであった。

    グレード&タイム

カナダ人の男性で登攀時間の平均が、8時間〜12時間(ハインド・ハット←→山頂)

V〜W級の垂壁や雪壁の登攀のみが続く。最高:X級。 スピードと体力の勝負。

○山小屋

〔アッシニボイン・ロッジ〕レイク・メゴックを挟んでアッシニボインと対峙した位置にある。標高2300m位。数棟のロッジが点在し予約者単位で宿泊となる。メインロッジで食事が出来る。オーナー夫妻の人柄に魅せられたリピーターが多く、2年先まで予約がいっぱい。私は、6か月前に予約を入れたが、もちろん空き無し。

〔ネイセット・キャビン〕アッシニボイン・ロッジから15分ぐらい離れたところに数棟の小屋が点在。1棟で6人宿泊可。簡単な寝棚とストーブがあり、シュラフと自炊の準備が必要。私は6か月前に予約を入れたが空き無し。幕営の準備をしていたが、出発3日前に1名のキャンセルが出て、運良く使用できた。1泊で20カナダドル。

〔ハインド・ハット〕:標高2700m位。MtStromの稜線下とアッシニボインの間の露岩にある。アタック基地となる。無人。定員12名位だが、早いもの勝ち。YAMUNASUKAが管理。必要最小限の設備(プロパンガス、食器、寝だな、トイレ等)がある。シュラフや食料は各自が持ち込む。予約は不必要だが、1泊20カナダドルをYAMUNASUKAに支払う。水は氷河の雪解け水を利用。落差50m位の滝の落ち口で、岩につかまってバケツに汲む。力の無い人は、バケツとともに落ちる。

    現地エージェントYAMUNASUKA MOUNTAIN TOURS

     ガイドやヘリコプター、山小屋の手配をしてくれる。日本人スタッフも働いている。     カナダ山岳ガイド組合と提携していて、ガイドはYAMUNASUKAを通してクライアントをガイドする時は、かっこいいYAMUNASUKAのジャケットを着る。

ガイド:フランスのガイドのように、すれていない。親切でクライアントの目的を達成するために助力を惜しまない。コミュニケーションは当然、英語だが、アメリカ英語より発音がはっきりしていて聞きやすい。皆、自国ブランド「Archaeopteryx」のウエアやザックを愛用。自分より体重の重いクライアントを、急斜面で肩がらみ確保するほど、安定感と力がある。      

【登攀記】

○8月8日(月):成田(AC―4便)→ヴァンクーバー→キャルガリー→キャンモア(ホテル泊) 

・成田17:25発の4便となるトロントからの便が、雷雨のため羽田に緊急着陸。それから成田にまわり、3時間遅れで20:15にやっと離陸。ヴァンクーバーで、乗り継ぎ国内便の振替をしてもらい、15:40発に乗れる。結局、合計4時間遅れでキャルガリー空港到着。疲れきった旅立ちとなる。それにしても、成田で千円のミールクーポンが出たのが7時半近くなってから。皆お腹がすいて各自で夕食を済ませた後。仕方が無いので私は、柴漬けとどら焼きとジュースを買い込み、リュックに詰め込む。でも、後で、これが一番おいしかった!

・迎えの車でキャンモアのホテルに着き、YAMUNASUKAのスタッフと明日の打ち合わせをしてベッドに入れたのは、もう23時。何という長い一日だったことか。

    8月9日(火:曇り後晴れ)                            

起床6:00YAMUNASUKAオフィス8:00Mt、キッズ・ゴートでRC14:00終了

・7:30にYAMUNASUKAオフィスでガイドの James Blench を紹介される。カナダ人としては小柄な方だが、贅肉ゼロのカモシカのような体をしている。寡黙で沈着冷静。自身が疲れている時でも、やさしい配慮をしてくれる人だ。後で知ったが、キャンモアのガイド中で中心的な役割をしているらしい。                                         

・ジェームズの車でキャンモア近郊の岩場へ。まず初めにカナダ流コールの仕方を教えてもらう。

「オン・ビレイ」:リードが支点にセルフビレイを取りセコンドの確保システムを整えると、セコンドにこのようにコールする。

「オフ・ビレイ」:セコンドがビレイ解除をしたら、リードにこのようにコールし、すぐ登り始める。

実に簡潔で無駄の無いコール。本番の高度差約1000mの登攀もこの2つのコールで実にスピーディーであった。実際にはオンとオフの違いなど聞き取れないので、相手の声が聞こえたら各自が次の行動に入るということだ。

・新調した私のヘルメットとジェームズのヘルメットが、全く同じもの。ヘル姉弟となる。

・1本目は「キッズ・ゴート・バットレス」全6p:互いのコールで呼吸を合わせる練習となる。

・2本目は「トワイライト」全5p:小ハングをもつ楽しいルート。

2本目の終了点で雲が切れ、雄大な景色が見えてくる。MtYAMUNASUKAもその全容を現す。カナダ横断鉄道を、貨車がまるで長い蛇のように身を引きながら走っていく。

・この2本で、クライアントのスキルチェックやスピードチェックは終わり。ジェームズに「アッシニボインには登れるか。」と聞くと「問題ない。」という返事。技術や体力不足だと、グレードの低い他の山に振り替えられてしまうので、一安心。

・ジェームズの車でホテルまで送ってもらう。それから急いで町の山道具店に行き、ガスカートリッジを買う。20年前に家族でロッキーを旅した時に持ち帰ったカナダ20ドル札を出すと、若い店員が表や裏をひっくり返し、じろじろ見回し始めた。明かりに透かしてみたり、指ではじいてみていたが、とうとう店主を呼び出した。店主は私と同じ世代のようだ。私の顔をみてから、店員にうなずく。店員曰く「すみません。僕、生まれてなかったものですから。」

 お札はとうの昔にモデルチェンジしていた! 彼は、偽札だと警戒したのだ!3人で大笑い。

・食欲が無いので、近くのスーパーで果物やパック野菜を買い、残りのパンで夕食を済ませる。

○8月10日(水:曇り・アッシニボイン・ロッジ付近は晴れ、雷雨 ハインド・ハット付近は雹が降った)

7:40起床→11:30ヘリコプター→アッシニボイン・ロッジ12;2016:00ハインド・ハット着

・時差の関係で体内時計が狂い、夕べはほとんど眠れなかった。おまけに、飛行機や送迎車の冷房で風邪気味。熱は無いが鼻水あり。鼻水をすすりながら登るの? かっこよく決まらないところがいかにも私らしい。

・登攀後のネイセット・ヒュッテでの2日間用の荷をスタッフバックに入れ、登攀用の荷はリュックに入れて迎えの車でYAMUNASUKAのオフィスへ。ジェームズと装備の点検をし、私が分担する食糧(これが嵩張って重いこと!  5kgもあるの!)をリュックに詰め込む。全体で17kgはありそう。

・ジェームズの車でキャンモアヘリポートへ。11:30のヘリに乗る。6人乗り。3000m級の大山塊の間を飛ぶのはエキサイティングだ。自由気ままに蛇行するボー川の支流が美しい。やがて、雲の切れ間にアッシニボインの姿が見え隠れする。アッシニボイン・ロッジのヘリポ−ト着。

・ロッジのオーナー夫人とジェームズが楽しげに何やら話し、私のスタッフバッグを預かってもらう。雲は切れ、夢にまで見たアッシニボインが美しくそびえている。「絵」以上に美しい。

・12:30 アッシニボイン・ロッジをスタート。レイク・メゴック湖畔を歩き出すころ雷雨。雨が強くなってきたので、30分ほど木の下で雨宿りをする。雨宿りと語らいは付き物。8才の男の子がいることや、その子が2歳の時のネイセット・ヒュッテでの小熊事件のことなどを聞く。

・湖畔の踏み跡が消えるころ、アッシニボインのヘッドウオールの下に着く。ここから登攀開始だ。  例えれば、北岳バットレス4尾根に取り付くのに、下部岸壁の登攀をするのと似ている。

・結構垂直で、垂直壁を登って小バンドをトラバースということを繰り返して300mほどを登る。最後は雪渓を上り詰め、黒い露岩の上に建つハインド・ハットに到着。ジェームズは、もう、私一人でも小屋に行けると判断したところで、先に小屋へ。案の定、お湯を沸かして、私が着いたらすぐお茶がいただけるようにしてくれていた。

・30分ほどで、他の2pがやってくる。ジェームズは彼らの声が聞こえると外へ迎えに。日本人にはどうしてもオーバーアクションに見えてしまうが、肩を抱き合って、ここまでの健闘をたたえあっている。私は、「日本流」でいくことにしているので、「私たちの家へおいでくださってありがとう。(と、下手な英語でいうのだが・・・)」と言って歓迎すると、これがバカ受け! すぐ親しくなってしまった。

・明日のアタックは私たちを含めて3p。各pごとに3日分の同一メニューの食材を運び上げているので、それらを出し合い、今晩の夕食準備が始まる。日本人クライアントだというので、YAMUNASUKAが日本食メニューを準備してくれていた。でも、「鮭の照り焼き」も「味噌汁」も‘似て非なるもの’ 「ご飯」だけが日本食そのものかな? でも、我が家の夕食より、ずっと豊かな夕食でした。欧米人は、とにかくよく食い、よくしゃべる。私は、時々会話に参加しながら、人間観察。彼らの会話からプロフィールを描くと、次のようになる。

 アイリーン:アメリカ人のクライアント。6歳と8才の二人の娘あり。自分の会社を経営。  3回の来日経験あり。大学の時から山へ。私へこまやかに気を使う。40歳前後。

 ディーブ:アイリーンのだんなでMITの教授。オーバーウエイト。多分、タイムオーバーでサミットには立てないだろう。人が良さそう。アイリーンに頭が上がらない。女房と同年代。キャンモアに体育館のように大きなセコンドハウス。ボストン在住。

 アイリーンのガイド:高校の教師を辞めてガイドになった変り種。ライトエクスペディションをしているうちに、たぶん首になったんとちがうかなあ。30代後半。

 ディーブのガイド:一番若く20代後半。私の5倍位食べる。性格が素直で背の高い好青年。

・20:00就寝。やっぱり、ここでもいびき被害。ほとんど眠れず。        

                          ▲▲(外にプロパンガスボンベ)  

                                                                    テー                 

                                          2段                  ブ               ◎  ガス台は3口もある 

〔ハインド・ハット〕      ベット          ル                   

                                                                                               食器棚

           マットが敷いてある

                                       12人位泊まれる    ベンチ        (二重ドア)

○8月11日(木:晴れ)                             

    3:30起床→4:50ハット出発→9:50山頂→15:10ハット着)

・簡単な朝食後、支度を整えヘッドランプをつけて私たちが先頭で出発。出発前にジェームズの装備をそっと見ると、フレンズ・ナッツ・アイススクリュー・ハーケン等である。およそのコースの状態が推量できる。

・雪渓と露岩部を2度ほど交互に通り過ぎると、北リッジ取り付きのガレ場に着く。振り返ると、後の2pは、はるか後方に。ここからアンザイレン。(またここに降りてくるまでロープを解くことは無かった。) 垂壁のロッククライミングと急傾斜の雪壁のクライミング、時々アイスアックスを打ち込む。これらを何十回も繰り返えす。でも、この間、私たちが交わす言葉は2種類。「オン・ビレイ」「オフ・ビレイ」 実に、確実で簡素な会話!

・サンライズで足下の山々がオレンジに染まり始め、空も見る間に青さを増していく。どこまでも続くカナディアンロッキーの山なみ。レッドバンドの下で休憩。この1回のみであった。

・レッドバンドもグレイバンドも、垂直であるが、適当にスタンスもホールドもあり、さして困難なくクリア。やがてやせた雪稜に出る。左側には雪庇が張り出し、ところどころ落ちて底が見えない。「東フェース上部の死の滑り台」だ。4つほどピークを超えたとき、ジェームズが、一言、「サミットだ。」 9:50、なんか、あっけなく頂上に立った。サミットは厚い雲に覆われ、まったく視界が無い。残念だが仕方が無い。私の勝手な予定では、ここでかっこいいガイドとがっちり握手をしているツーショットのはずだったのだが。。。。 私たちしか居ないし。。。。

・写真を1枚撮ってもらって、下降に入る。今度は私が先だ。

・あまりにヴァーチカルなので、次のルートが判断できない。日本のようにペンキマークなど一つも無い世界なのだから。そこでジェームズが下降方向を腕で示してくれることになる。雪壁や氷壁はアックスを打ち込み、クランポン(アイゼンとは言わない)の前歯を蹴り込みながら一歩一歩下降する。登攀より危険で困難で時間もかかる。

・レッドバンドを降りたところで、アイリーンpに会う。アイリーンは片手を私の肩に回して「サミットに立ったのね、おめでとう。」と祝福、アイリーンのガイドは握手をして、「おめでとう」と祝福してくれる。私も、「幸運を祈ってるね。」といって、分かれる。

・さらに下降したところで、だんなpに会う。同じように祝福してくれたが、だんなのこのペースでは、無理だなと確信する。

・ここからは、下にパーティーが居ないので、下降方向や下降目標へ、ジェームズが小石を投げる。「なんか、犬になった気分。」と私が言って、二人で大笑い。

・15:10 ハインド・ハット着。往復約10時間。カナダ男性のペースとしても早いということだ。「まだ、やれるかな?」と、やっぱり、うれしい。

・アイリーンpはサミットを踏み、19;40に戻る。

・だんなpはレッドバンドで引き返し、21:50に戻る。21:00頃、だんなのガイドから10:00にもどれないようなら、レスキュー態勢に入ってくれるよう無線連絡があった。結局、この日も心配といびきで熟睡できなかった。

○8月12日(金:雪 下界は晴れ)

  7:00起床→8:50ハインド・ハット→11:00アッシニボイン・ロッジ→ネイセット・ヒュッテ

・昨夜振り出した雨は夜中に雪になり、起きると辺り一面の銀世界。アタック日が一日遅れていたら、困難度が高くなっていただろう。ラッキー。寝不足で、朝食のシリアルを食べていたら吐き気がしてくる。

・アイリーン夫妻が、いたく私を気に入ったようで、しきりと自宅へ招きたいとさそうが、断る。

(ちょっとは、アメリカのお金持ちの別荘に、興味があったのよ。でも、パッキングやショッピングの時間がなくなってしまうので、残念!)住所やメールアドレスを交換して別れる。

・ヘッドウオールも私たちが先頭で下降。アッシニボイン・ロッジでオーナー夫人の歓迎を受け、お茶しても、まだ二人が来ない。ジェームズのヘリの時間がきてしまったので、ここで別れる。(チップもはずんだよ。)ロッジでシャワーを使わせてもらってさっぱり。

・預けておいた荷を受けとり、ログハウスのネイセット・ヒュッテへ。私が泊まる小屋の名は、ジョーンズヒュッテ。2晩のルームメイトは、キャンモアの4人組(40代)とキャルガリーの高校1年生と私の合計6人。「カナダ四夫人」はこれからナブレットまでハイキングに行くのだというので、その先のナブピークまで行ってはどうかと薦める。(実は、私が明日行く予定のコース)地図を見ながら、高度差と地形から想定できるトレイルの状態、想定タイムを教える。(帰ってきて、その通りだったと、いたく感心される。)

・一人になり、早く寝たくてヒュッテのバルコニーで夕食の準備をしはじめる。と、グラスとお皿を持ったカナダ人の男性が私の前に。隣のヒュッテの住人で、私たちのパーティーに加わらないかとしきりに薦めてくれる。今、アッシニボインから降りてきたこと、とにかく早く休みたいと断るが、またしても、やってくる。今度は子ども二人を伴い(そのうちの一人はあの高校生の女の子だった)、お酒を持ってきて、お酒は好きか、一緒に飲もうと誘いにくる。丁寧に断ると、今度は弟だという男性と、バーベーキューの海老をお皿にのせてやってきて、海老は好きか、一緒に海老を食べようと誘う。もう、断るのも面倒になり、箸と皿を持って、「Mr.シュリンプ一族」のバーベキューパーティーに加わった。

・この晩も、寝不足。やっぱりいびき被害。おまけに「カナダ四婦人」がストーブを炊いて寝るので、暑くて眠れず、もう、死にそう。

○8月13日(金:晴れ) 午前:ナブピークまでハイキング 午後:死んだように眠る

・朝は辺り一面の霜。あと2週間ほどで急激に秋になり、9月にはラーチ(日本のカラマツに似ている)が黄金に染まって落葉するのだという。

・極端な寝不足で頭痛がする。「カナダ四婦人」に彼女たちの今日の計画を確かめる。ロングハイキングで夕刻帰る予定だという。そこで、私も午前中のみハイキングをして、騒音の無い時に寝不足解消と心ひそかに計画を立てる。

・スープのみの朝食を済ませ、ナブレットへハイキングに出かける。出発が早すぎて誰も居ない。

 樹林帯を通り過ぎる時は、柴笛乙女ちゃんの「熊事件」が頭をよぎり、恐怖心でいっぱいになる。どうってことないナブピークへの上り坂を、あえぎあえぎ登る。頭がぼーっとして体が鉛のように重い。でも、ピークに立ち、目を上げたとたん、霧が晴れるように爽〜〜快〜〜! こんな美しいところが地上にあるなんて! 青やグリーンの幾つもの湖、湖畔に広がるラーチの樹林やモレーン、聳え立つ山々、氷河、そして一段と気高く、そして空を突くように聳えるアッシニボイン。しばらく忘我の境地。でも、やっぱり下りもつらかった。

・ヒュッテに戻り、寝る準備をしているところへ、なんと、「カナダ四婦人」がご帰還・・・?

 互いに「どうしたの?」 本心は言えず、あまりの美しさに満足したので午後はカットしたと言ったら、自分たちも同じだと言う。(何で同じになるのだ!)

   おまけに、これから‘ヌード’パーティーをするのでご一緒にいかがと誘われる。「え?」と聞き返すと、‘ヌードル’だったので、それは一安心するが、もう、死んでしまうよ〜。断って、レイク・メゴック湖畔で昼寝をしようと出かけるが、蚊が攻撃してくるので、これもだめ。帰ろうとしたら、なんと「Mr.シュリンプ一族」がハイキングから帰ってくるのに遭遇。またまた今夜のパーティーに招待される。(よほど、‘群れない’日本人女性の一人旅がめずらしいらしい。ここに滞在中、日本人は私一人。バンフの町は日本人だらけだったが。)

・あきらめて、ヒュッテへ帰ると、な、な、なんと、我が家の前がヌードルパーティーの会場!既に、12人ほどが思い思いに座り込み楽しげに始まっているではないか! いいかげんに挨拶をしてヒュッテに入ると、アン(カナダ四夫人の一人)がやってきて、一緒にいかがと誘いにくる。いいかげんはかえってだめだと悟り、今日は休ませてほしいこと、もう4日も良く眠れず、吐き気がすることを伝える。 OKと言ってアンが出て行き何やら皆に話している様子。そのうち、会場を遠くに移してくれた。 この時が16:30。それからなんと、夕食もたべず、私は翌朝の7:00まで、眠り続けた。

○8月14日(土:晴れ) 午前:ワンダー・パスまでハイキング

 午後アッシニボイン・ロッジ→(ヘリ)→キャンモアヘリポート→(車)→YAMUNASUKAオフィス→(車)→バンフ(泊)

・「カナダ四婦人」や「Mr.シュリンプ一族」を見送り、ゆっくり食事後、ワンダー・パスへハイキング。ワンダー・パスからは、昨日登ったナブ・ピークが一望だ。どこを切り取っても一幅の絵になる。

・キャビンに戻り、置いといた荷をパッキング。12:00のヘリに間に合うようにアッシニボイン・ロッジにいくと、時間変更で、13;15の最終便とのこと。サンドイッチとコーヒーを注文し、アッシニボイン・ロッジのテラスでアッシニボインを心ゆくまで眺めながら昼食。

   最終ヘリの乗客は、13日に登ったガイドとクライアント、そして、私の3人。13日はこの

1pだけだったとのこと。ヘリからアッシニボインの見納め。

・キャンモアヘリポートに着くと、アイリーン達からのご招待の伝言が待っていた。Yesなら、自家用車でヘリポートまで私を迎えにきて、帰りは、バンフのホテルに送るという内容だった。しかし、ヘリが遅れ、バンフでのショッピングと帰国のためのパッキングの時間を計算すると、残念ながら十分な時間が取れない。断りの伝言を頼む。帰国してからお礼のメールを入れよう。

YAMUNASUKAの日本人スタッフがバンフのスポーツ店に用があるというので、オフィスに預けて置いたトランクを引き取り、彼女の車でバンフへ。山岳リゾート地の山の店を見るのも楽しみの一つ。私もお相伴させてもらい、1時間ほど過ごす。それから、ホテルへ送ってもらい、別れる。

・さて、2時間ほどでショッピングをすませなければならない。すぐ町の酒屋へ直行。「カナダ四婦人」ご推薦の銘柄のカナダ産アイスワイン(おいしいことで有名なんですよ。もう、家族で飲んでしまいました!)を購入。(フリースでくるみ、リュックに入れて帰国)

○8月15日(月)〜16日(火)

ホテル7:20→(車)→キャルガリー空港→ヴァンクーバー空港→成田

・帰国便は、国内線、国際線共に時間通りで順調。ヴァンクーバーからの便は、エコノミーの最前列のシートで前の壁までスペースがゆったりしており、しかも、2座席。カナダ人のハンサムな青年と隣同士になり、ガムをもらったり、食べきれない機内食をお裾分けしたりしながら、楽しく帰国の途につく。最後までラッキーのハナミズキであった。